世界遺産になった日本の銀の歴史

銀は、石油、綿、砂糖、自動車などのように世界中で広く取引される「世界商品」の一つです。その埋蔵量は約57万㌧とされ、2016年現在の鉱石生産量はメキシコ(約21%)が首位で、ペルー(約15%)、中国(約12%)が続き、上位3か国で約半分を占めます。

世界史の中での銀

アルゼンチン共和国が1816年に独立を宣言した時の国名はリオ・デ・ラ・プラタ(Río de la Plata)連合州。スペイン語でrío は川、plataは銀ですから、「銀の川」という意味です。その名は、16世紀にスペインの航海者がこの地で銀の飾りを着けた現地の人に会い、川の上流に銀の山があると信じたことから付けられた名前だそうです。

その後、フランスのスペイン侵略を機に国名からスペイン統治の歴史を除き、銀を意味するフランス語のアルジャンティーヌ(argentine)が国名になりました。元素名には地名から付けられたものがありますが、銀の場合、元素記号(Ag)はラテン語で銀を意味するアルゲントゥム(argentum)がもとになっていますから、アルゼンチンの場合、元素名から国名が付けられたともいえる珍しい例です。

日本は中世以降銀の産出国で、16世紀末から17世紀にかけては世界の銀の2~3割を占めていました。この時代には徳川幕府が全国を治めて米作を中心とする農業が経済を支え、豊臣時代から引き継いだ鉱業が奨励されました。

一方、16世紀後半から植民地支配で勢力を増したスペインは新大陸に進出し、ボリビアのポトシやメキシコのサカテカスからの銀の産出量が増加したことで、日本の銀生産は17世紀初頭に最盛期を迎え、その後徐々に衰退していきました。

日本の銀鉱山

世界に知られる銀産出国だった日本。銀の鉱山はどこにあったのでしょうか? かつての代表的な鉱山を北から順に挙げます。時代はいろいろです。

阿仁(秋田県北秋田市)
院内(秋田県湯沢市)
延沢(山形県尾花沢市)
細倉(宮城県栗原市)
半田(福島県伊達郡桑折町・国見町)
佐渡(新潟県佐渡市)
多田(兵庫県川辺郡猪名川町・川西市、大阪府池田市)
生野(兵庫県朝来市)
石見(島根県大田市)

これらの地元には観光施設や資料館があり、歴史を知ることができます。2007年に世界遺産に登録された石見銀山には、2016年に約30万人もの観光客が訪れたそうです。

また、延沢銀山は、NHK連続テレビ小説『おしん』の舞台にもなった大正ロマンの風情があふれる銀山温泉街(写真)のすぐ近くにあります。写真で奥の山に鉱山がありました。

銀の製錬

銀は輝銀鉱や方鉛鉱に硫化物として含まれます。
古代から各地で行われてきた製錬法では、鉱石の上に木を積んで焼き、得られた不純物の多い金属を骨灰製の素焼坩堝に入れて熱しました。こうすると、銀に結合していた硫黄が離れ、鉱石中の銅・鉛・錫・鉄などは酸化物となって坩堝に吸収されるので、酸化されない銀の粒が残ります。水銀と接触させてアマルガムとする混法も行われました。しかし得られる銀の純度は低く、産地によるばらつきもありました。

16世紀半ばになると、朝鮮半島から石見に「灰吹はいふき法」が伝わりました。灰吹法では、先ず銀鉱石に鉛を加えて焼き、鉛と銀の合金(貴鉛きえん)を得ます。次に貴鉛を炭の粉とともに再度焼くと 、鉛は酸化鉛になって灰に吸収され、銀が取り出せるのです。こうしてできた灰吹銀は品位が高く、灰吹法は各地に広まって産銀量は増加しました。安土桃山時代を通しての産銀量は約1100㌧と推定されます。

現在では、金・銀がシアン化物イオンの水溶液に錯イオンを形成して溶ける性質を利用する青化法で得られた粗銀の電解精錬のほかに、銅や鉛の製錬過程での副産物としてや、貴金属スクラップからの回収によっても生産されています。

 

参考文献
「石見銀山 銀を作るまで 灰吹法」(銀の道振興協議会,1999年)
「銀のみち一条」玉岡かおる著(新潮社,2008年)
「世界史の中の石見銀山」豊田有恒著(祥伝社,2010年)
「レアメタルハンドブック2016」(石油天然ガス・金属鉱物資源機構)

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園部利彦

園部利彦

2017年3月まで岐阜県立高等学校で化学を教え退職。化学(科学)の歴史と科学者に興味があり、趣味は鉱山の旅とフランス語。