イリジウム(Ir)の過去と今 ~意外と知られていない使われ方~

イリジウムとキログラム原器

質量の単位であるキログラムはどのように定義されているかご存知でしょうか? 実は、1キログラムは白金90%とイリジウム10%からなる合金で出来ている、直径、高さともに約39 mmの円筒形の物質の質量から決められているのです。これはフランスの国際度量衡局(BIPM: Bureau international des poids et mesures)に厳重に保管してある国際キログラム原器の重さを元に1889年に定義されました。この合金はきわめて腐食されにくいことから130年近くにわたり質量の基準として使われ続けているのです。

ところで、長さの単位である1メートルも「メートル原器」という道具によって定義されました。メートル原器も同じイリジウムを含む合金で出来ていますが、キログラム原器と同様に1889年に1メートルの基準として国際度量衡局で決められました。ところが1960年に、長さについては真空中の光りが一定時間に進む距離、すなわち、光の波長という自然定数に基づいた高精度な定義に見直され、メートル原器はその役割を終えたのでした[1]

かつてメートル原器の複製30本のうち1本が日本にも配布されました。これは現在では日本の産業技術総合研究所に保管されており、国の重要文化財に指定されています[2] 。

メートル原器No27
米国国立標準技術研究所NISTに保管されているメートル原器
(https://www.nist.gov/image/meter27jpg)

長さの定義がメートル原器から光の速さを基とする定義に替わったように、質量も「プランク定数」という物理定数による定義といった人工物によらない物理現象による普遍的な定義になりそうです。そのため、新たな定義のための研究が世界各地で行われており、イリジウム合金のキログラム原器は130年近く使われてきた基準としての役割を終えようとしています。原器としての役目が終わるイリジウムですが、今回は意外と知られていないイリジウムの性質や他の用途についてお話します。

イリジウムの性質

イリジウムは白金族(ルテニウム(Ru)、オスミウム(Os)、ロジウム(Rh)、イリジウム(Ir)、パラジウム(Pd)、白金(Pt)の6元素)の1つですが、地政学的に不安定な場所に埋蔵しているなどの理由から生産量が非常に少なく高価な金属なのです。金の生産量が年間3000 t程度に対し、イリジウムは数t程度と見積もられており、貴重な資源だと言えます。

イリジウムはきわめて重い元素です。密度は22.6 g / cm3で、金属の中で最も重いとされるオスミウムより0.1%程度小さいだけとされています。そして非常に硬い特性があり、硬さを表す数値の一つであるヤング率と剛性率はそれぞれ528Gpa、210GPaです。たとえば鉄鋼の値がそれぞれ200GPa程度、80GPa程度であることと比べるといかに硬いかがわかりますね。硬くて、延性や展性にも乏しいことから、加工は難しいのですが、高温でも強いことから特殊な用途に使われてきました。たとえば自動車のエンジンに使われるスパークプラグの先端部や万年筆のペン先端部といったもののうち、高級品にはイリジウムの合金が使われています。

また、化学的にも非常に安定であり、金を溶かすことで有名な王水にもほとんど溶けません。つまり、きわめて酸化されにくいのです。白金にイリジウムを混ぜることで非常に硬く、腐食されにくい合金になることから、長い年月で変化しないことが求められるキログラム原器やメートル原器の材料として選ばれたというわけでした。

イリジウムと発光材料

このように希少なイリジウムは、その独特な性質から一部の特別な用途に限って使用されてきました。しかし今世紀になってイリジウムの重要な用途が開発されたのです。それは発光材料です。1999年になってイリジウム錯体[3] [Ir(ppy)3]を用いると高効率の発光素子である有機ELを作ることができることが提案されました[4]

こうして、有機ELディスプレイとイリジウム化合物が一躍注目を浴びることになったのです。それから現在に至るまで非常に多くのイリジウム錯体が合成され、様々な発光色を得ることができるようになりました。ただ、イリジウムは高価であることから、現在は貴金属を使わない発光素子の研究も各地で進んでいます。しかし、新たなイリジウム錯体の研究は現在も非常な勢いで続けられていて、イリジウム錯体の研究は2000年頃までは毎年200件程度だったのですが、2014年以降は毎年1000件以上の論文が発表されているのです[5]

[Ir(ppy)3]の溶液に紫外線をあてたときの発光の様子

ところで、
イリジウム元素とは直接関係ありませんが、イリジウムコミュニケーションズ(Iridium Communications Inc.)という会社があります。77個の衛星を打ち上げ、衛星通信、衛星電話サービスを提供しています。イリジウムの原子番号も77。イリジウムは今までお話してきた通りのスーパー金属ですからこの元素の名前がかっこいいと思われ、社名としたのかもしれませんね。

今回はごく限られた用途しかなかった元素が突然注目されるようになるということをお話しました。ではまた次回お会いしましょう。

 

参考資料
[1] さらに1983年に、1メートルは1秒の2億9979万2458分の1の時間に光が真空中を伝わる距離という定義に変更された。
[2] http://www.aist.go.jp/aist_j/news/20120420.html
[3] 錯体とは金属原子または金属イオンのまわりに有機物やイオンが結合したものを言います。
[4] Baldo, M. A., Lamansky, S., Burrows, P. E., Thompson, M. E. & Forrest, S. R. Appl. Phys. Lett. 75, 4–6 (1999).
[5] Web of Scienceで”iridium complex”で検索した結果の件数

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坪村太郎

坪村太郎

成蹊大学理工学部で無機化学の教育、研究に携わっています。 低山歩きが趣味ですが、最近あまり行けないのが残念です。